この記事を読むのに必要な時間は約 6 分です。
愛猫を亡くしたばかりの時は悲しみに打ちひしがれ
絶望的な暗闇に陥ってしまうもの。
そんなとき、かすかな光が差し込む虹の橋伝説。
その内容には賛否あるものの、多くの人の慰めとなったのは事実。
どのように弱った心を支えてくれるのか実体験を通して考察します。
(その後のペットロスについては別ページで述べています。
「ペットロスと向き合って生きる」をご参照ください。)
愛猫が行く虹の橋とは天国の手前にある待ち合わせ場所
“虹の橋”は、天国とその手前にある草原を結ぶ橋。
アメリカのある愛犬家が作った散文詩が元になっている架空の場所。
1992年頃の作だそうですが、
インターネットの普及によって広く知られるようになったそうです。
内容は↓
『亡くなったペットは虹の橋のたもとの草原に着く。
そこは温かく快適で食べ物も十分ある場所。
病気や障害のあったペットは健康になり元気に遊び回れる。
そこで仲間と楽しく過ごしているが心残りは飼い主がいないこと。
でもある日、草原に向かってくる飼い主を見つける。
全力で駆け寄り飼い主に抱きつくペット。
この上ない喜びの再会を果たした両者は
一緒に虹の橋を渡って天国へ行く。』
つまり
先に亡くなったペットは虹の橋のたもとで飼い主を待ち、
人生を全うした飼い主がやってきた時に再会して
一緒に天国へと橋を渡る、という話。
亡くなったペットは虹の橋の手前で自分を待っていてくれる、
この考えは深い悲しみに沈む飼い主の心を慰めてくれます。
犬、猫、うさぎ、その他どんなペットにも共通のその場所は、
生きていたときとは全く違うところ。
病気が治って元気に遊び回れる
食べ物は十分にある
温暖な気候で暑さ寒さの心配はない
すべての仲間と仲良く暮らす
まるで聖書の中で描かれる楽園のようで、
生前飼い主が抱いていた心配や不安は全く不要です。
(虹の橋はすべてのペットが集まるところですが、
私のペットは猫ですので、この後は猫を主役に話を進めます。)
愛する猫を亡くした飼い主は大抵
次のような気持ちを抱えています。
もっとしてあげられることがあったのでは?
もっと注意深く観ていれば病気を防げたのでは?
病気を治してあげられなかった。
苦しい闘病の期間、本人が望むようにしてあげられたのか?
飼い主は後悔や謝罪、後ろめたい気持ちが入り乱れます。
でも、虹の橋に行った愛猫はもはや何の苦痛もないのです。
恵まれた生活環境の中、仲間たちと楽しく暮らしています。
いつか再会する日まで飼い主は何も心配する必要はありません。
虹の橋の話は飼い主の辛い気持ちをなだめてくれるのです。
愛猫は現実世界から虹の橋の非現実世界へと移行する
愛猫が亡くなったとき、現実世界ではこうなります。
↓
生き物は死ぬと体が徐々に硬直します。
体温もなくなり、物体のようになってしまった愛猫。
それをダンボール製の火葬箱に納め、
顔だけ見えるようにまわりを花で囲い、好きだったおやつを添える。
火葬場で最後のお別れをして火葬開始。
30分ほど待ち、遺骨を骨壷に拾い上げる。
数日は居間の一角に写真とともに飾り、その後お墓に埋葬。
その一連のことを自分の手で行なったのに、
愛猫が死んだことをまだ信じられない思いが残ります。
そして
生き物は死ぬと「土に帰る」と言われています。
人も動物も生き物は皆、体を構成している元素は土と同じなので
埋葬するとやがて土に帰るわけです。
長い時の経過とともに微生物などによって分解され
元の土へと還元されていくのが自然界のプロセス。
それを知っていてもなお、
愛猫がいなくなったことを信じられない飼い主。
現実に存在が消えてしまったことを受け入れられない、
ずっとそばにいてほしいという願いを諦めきれない。
胸が苦しくなるほどの空虚感、
埋めることができるのだろうか・・
そんなとき目にする虹の橋の詩。
非現実の世界だと思っても同時に
愛猫への思いがこみ上げて涙が溢れてきます。
非現実の世界でも良いのです。
愛猫の死を現実のこととして受け入れられず
非現実のことと思いたいのですから。
じつは虹の橋はどの宗教にも属さない死後の世界。
ペット限定の飼い主との待ち合わせ場所。
人間の場合死後どうなるかは宗教によって異なりますが、
そんなことにこだわる必要がなく、
人間家族の都合に斟酌する必要もないのです。
それが虹の橋が多くの人に受け入れられるようになった
理由かもしれません。
飼い主がその後複数のペットを迎えたとしても、
再会の時には老人になっていたとしても、
ペットたちは愛する飼い主を瞬時に見分け
大喜びで迎えてくれるでしょう。
それまでの間虹の橋は、
愛するペットを亡くした直後の絶望的な心を慰め、
かすかに差し込んだ光が広がっていくように、
ペットロスを乗り越えるための力となってくれるのです。